デトックス

毒かもしれない家族の話。元ヤプログ人。

子供のころ2

子供のころ1の続き




人を貶す言葉

人を馬鹿にする言葉

暴力

怒鳴り声


これが我が家のコミュニケーションの主流だった


何かしら悪いことをしたら

注意、なだめる、などはなく

まずキツイ言葉が飛んで来ていたと思う


特に母

今でも母の言い方はトゲばかり

それを幾度となく、いろんな形で伝えてきたが

これは性格、変わらない

としか言わない

学校でも勉強したけど

人は変わらない、変えられない

それは強く実感したし

もし、母が今更変わっても

母の言葉に傷付けられてきた過去は変わらない

こういう時は離れるのが1番

これも学校で学んだ



こんなんだから

人付き合いがわからず

私は友達とも、家でのコミュニケーションの取り方を使っていたと思う


わがまま

人を貶す

気に入らなければ怒る


そう、よく怒っていた

優しい子はわざわざ謝ってくれたりした

しかし我が家には

謝罪も仲直りもなかったから

謝ってきた、あっそ、みたいに捉えていたように思う




…小さい頃は兄にひたすら殴られたり嫌がらせをされていた


持ち物を跡形もなくグチャグチャにされ

泣いて叫んでもやめてくれず

殴られ、突き飛ばされ、どんなに痛くてもやめてくれず

母がイライラしながら止めるが

私がどんなに心身共に傷付いても

「喧嘩両成敗」

だった

潰された持ち物を買い直してくれる事も

ボロボロの私を慰める事もなかった

この時の兄、母が許せない

特に母

兄は……今なら少しは考えられる

自分よりも可愛がられている私が許せなかったんだと思う

両親が、私だけお出かけに連れて行くなんて事をしなければ、こんな事が起きなかったのではないかと思う

でも、真偽は不明だ、あくまで予想


母は私が嫌いだったのではないか、とこれも予想

鬱が酷かった時期に

「私の事なんかどうでもいいと思ってるんでしょ」

と怒鳴ったら

「そんな事思う親がどこにいる」

と怒鳴り返された

この言葉には怒りしかわかない

あんただろ、としか思わなかった

親でもない私にわかるわけない

その割に小さい頃に大事にされた記憶はあんまりない

私だけ連れて出掛けたのは、おそらく父の独断

母は多分、兄に罪悪感を多少感じていたかもしれない

そして父に気に入られている私が気に入らなかったのかもしれない


…母もかなりの苦労人だと思う

祖父は母が小さい頃に事故で他界

だから父と言うものをほとんど知らない

父方の祖母からは嫁いびり的な事をされていたらしい


意地悪な叔母さんもいるし、叔父さんも叔母さんと揃って祖父母の財産を独り占めしたり

よく先祖や親類は大事にしろと言うが

私はもう会いたくない

祖母も苦手だった

兄を可愛がってたし、私には厳しかったように思う 

そう言えば

母は最初、祖母に結婚を反対されていたらしいが

占い師に見てもらったら、母はいい嫁になると出たから結婚を許したらしい

正直、こんな義母なら私はキレて別れるかもしれない

自分の事を見ず、占い師がいいと言ったから結婚していいなんて

馬鹿にされてないか?

自分の立場で考えても

美貴のお母さんがそうだったり、親類にそういう人がいたら

あらゆる手を尽くして疎遠にするか、最悪別れを考えると思う

こういう時に配偶者がどんなけ守ってくれるか、かなり重要だと思う

父は100%母を守ってなかっただろう



また話が逸れた

兄は小さい頃、ほとんど祖父母の家に預かってもらってたらしいので

兄をとられた、という気持ちもあったかもしれない

(兄は祖母が大好き)



こんな環境で、ウチの家が普通に機能する事はないわな

だからと言ってなんも納得はできないが





しかし今でも辛いのが


コミュニケーションのベースが喧嘩


これ

普通にできない

普通のコミュニケーションを取ろうとすると

酷く疲れる

人付き合い、本当は苦手なんだ


でもそれで、友達は離れていく

嫌がらせやイジメの対象になり、シぬ程辛い思いをうんとして来た

だから人付き合いを改め、嫌われないように振る舞うようにして来たが

それがしんどくて疲れる

一人が一番楽だと今でも思ってる



まだまだ書く事はたくさんある

兄、母、父にできるかぎり抵抗してきた事

しかし幾度となく立ち向かって、何十倍にして返されてきただろう

「何をやっても無駄」だと、私の無意識に刻まれる程に

抵抗の意思が湧かなくなるぐらい、私は幾度となく心を壊された



…とかね。

まだあるけど

とりあえずここまで。